二重課題開始時の呼吸循環応答の実験
背景と目的
☆中強度以上での持久的運動と認知の二重課題トレーニングは,認知症と血管系疾患の両方の予防に有効ではと考えられます.
☆運動と認知の二重課題中の呼吸循環応答を詳しく検討した研究は,ほとんどありません.
☆二つの課題を同時に開始したときの,呼吸・循環応答および運動と認知のパフォーマンスについて,総合的に検討した研究もありません.
☆これらは,彼による影響を受けることが考えられますが,それを検討した研究もありません.
☆これらを明らかにすることで,認知が運動開始時の換気亢進に影響を与えると言う仮説(学習-認知仮説)を証明できるかもしれません.
そこで本研究では,
<実験1>若年者を用いた実験
運動と認知の二重課題を同時に開始した時と,それぞれを単独で開始した時の 換気,心拍,酸素摂取応答を比較し,二重課題開始が呼吸循環応答に及ぼす影響を,まず若年者を用いて明らかにする.
<実験2>高齢者と若年者の比較実験
認知機能の衰えた高齢者にも同様の実験を実施し,加齢の影響を検討し,学習-認知仮説を検証する.
ことを目的に,以下の2つの実験を行いました.
1.実験方法
1)対象者
健康な若年者20名(男女10名ずつ, 20.7±1.7歳)
2)予備測定
・負荷決め:自転車エルゴメーターを用い,漸増負荷法で最高心拍数の70%まで漕いでもらい,負荷と心拍数の関係から,心拍予備(Heart rate reserve; HRR)の40%の中強度の運動負荷を決定します.
・好みの回転数の決定:各自,様々な回転数で漕いでみて,一番漕ぎやすく,自然にその回転数になる好みの回転数を決定します.平均59.7回転/分(標準偏差4.9回転/分)でした.
3)課題
・運動課題
運動:予備測定で求めた40%HRRの強度に合わせ,安静から「スタート」の合図で,できるだけ早く好みの回転数に合わせて自転車を漕ぎます.
評価:正確性(回転数の設定値とのズレ)と安定性(回転数の変動の大きさ;変動係数)
・認知課題
Trail Making Test-B (TMT):できるだけ速く正確に
関連する認知機能:遂行機能,注意機能,作業記憶
評価:反応の速さ(反応時間), 正確性(誤答率)
TMTの例(比治山大学・吉田先生,https://maruhi.heteml.net/programs/tmt02/tmt02.html 参照)
4)実験条件
認知課題のみ (CT条件) : 安静2分→TMTを3分間連続実施
運動課題のみ (MT条件) : 安静2分→運動のみ3分間実施
二重課題 (DT条件) : 安静2分→二重課題を同時に3分間実施
・運動開始の最初の5秒ほど,検者がペダルを回すのをアシスト
・運動開始5秒前に「軽く息を吸って・・・3, 2, 1 スタート!」の指示 ・・・呼吸相を合わせるため
5)実験のプロトコル
1試行5分間(安静2分+課題3分),各試行間は5分以上の安静
3条件1セット×3セット(各条件はランダムに実施)
6)測定項目
回転数:1/4回転ごとのパルスより算出→リアルタイムでモニターに表示
TMTの反応時間と誤答率:TMTのソフトウエアより算出(吉田先生のソフトから)
呼吸系:呼吸数,一回換気量,毎分換気量,酸素摂取量
循環系:心拍数
分析方法
各パラメータを時間をそろえるために1秒値または20秒値に換算し,同一条件で3回測定したものを加算平均
3つの条件に加え,単独の運動課題(MT条件)と認知課題(CT条件)の値を加えた単純加算の値を計算し単純加算条件(AD条件)としました.
ただし,MTとCTを加えるだけでは安静値が2回分入ることになるので,AD=MT+(CT-安静値)を計算します.
実験風景
2.結果
1)回転数
二重課題では最後の1分で回転数が有意に低下し(B; 1rpm程度), 回転数のゆらぎも有意に大きい値を示しました(C).
これは,運動パフォーマンス低下を意味します.
図3. 単一運動課題 (MT) と二重課題 (DT) の回転数の比較
A:絶対値の変化,B:設定値からの差分, C:運動開始20~160秒の変動係数
2)認知機能
二重課題で,誤答率は認知課題単独時より少し悪くなりますが,有意差はありませんでした.
しかし,反応時間は二重課題で有意に遅くなります.つまり,認知パフォーマンスは低下すると言えます.
表1. TMTの結果
3)呼吸機能
酸素摂取量(体重当たり)は,左下図のように,認知課題単独では酸素摂取量は安静時と比べほとんど増加しませんが,二重課題での増加は運動単独と同程度,
単純加算より少し低い値を示しました.
毎分換気量は,右下図のように,二重課題では運動単独より有意に高く,それは認知単独の換気増加分が加算した形となっています.ただし,Phase
Iと呼ばれる運動開始直後20秒間の神経性要因による増加部分に差は見られません.
毎分換気量を詳しく分けてみてみると,呼吸数(左下図)は,運動開始直後のPhase Iから認知課題単独でも増加し,運動課題単独ではそれより少し大きめに増加,二重課題では単純加算(AD条件)と同程度に急増します.
一方,一回換気量(右下図)は認知単独ではやや減少しますが,二重課題では運動単独での増加に対して認知単独の抑制分を差し引いた分(AD条件)以上に一回換気量が上がらなくなっています.
ただし,その分を考慮しても,呼吸数の増加の方が影響が大きく,二重課題をしていると,呼吸が速くなって毎分換気量が高くなると言えます.
4)循環機能(心拍数)
心拍数は下図のように,認知課題単独でもやや増加し,二重課題では運動単独に認知単独での増加分が加算されたもの(AD条件)と同じだけ増加します.
3.考察
本研究の結果をまとめると,
(1) 認知課題が精神的ストレスとなり,それが影響する呼吸数や心拍数が認知課題単独でも増加し,その影響で毎分換気量も認知単独課題で多少増加します.
(2) 運動単独時に比べ,二重課題実施中は,酸素摂取量は多少増加しますが,毎分換気量はより大きく増加します.毎分換気量は,運動単独に認知単独による増加分が,単純加算されて起こると考えられます.
(3) 二重課題による毎分換気量の増加は,呼吸数の急増が原因であり,特に認知課題による呼吸数急増が,単純に運動による増加分に単純加算されて起こると考えられます.
(4) 心拍数も毎分換気量と同じく二重課題で大きく増加しますが,これも運動単独に認知単独による増加分が,単純加算されて起こると考えられます.
メカニズム:
運動時の換気亢進は,これまで述べてきたように,「神経性要因」と「体液性要因」が呼吸中枢に働きかける経路,または「学習-記憶仮説」で大脳のプロミングで直接呼吸筋に命令が伝わる経路があります.
一方,認知課題では,精神的ストレスとなって呼吸が上がる,「情動呼吸」が大脳辺縁系などから発せられて,呼吸中枢を刺激する経路があります.それら運動系と認知系(情動系)の経路は,別々に(加算的に)呼吸中枢を刺激すると考えられます.
また,Phase I における「学習-記憶仮説」では,運動と認知課題を同時に開始すると,運動のしんどさを認知することが妨げられ,運動開始直後の換気急増が抑えられると言う仮説を立てましたが,結果として,逆に換気は増えていました. これは上で説明したように,認知課題が難しく,それで換気が増加する分が多かったために,うまく結果が出なかったとことが考えられます.もう少し簡単で注意をそらす程度の認知課題がよかったかもしれません.
応用:
呼吸数が増加すると,1分間当りに死腔×呼吸数の分だけムダに呼吸をするため,効率の悪い呼吸になります.その分,毎分換気量を上げないと,同じだけの酸素摂取量を確保できなくなり,呼吸筋をより使わないといけなくなります.つまり,運動と認知の二重課題実施中は,効率の悪い呼吸をしていることになり,運動自体がしんどくなる可能性があります.逆に言えば,呼吸循環機能にとって,負荷が高く,トレージング効果としては高まることになるかもしれません.
1.実験方法
1)対象者
若年者は,実験1に1人加わった21名(20.5±1.6歳)でした.高齢者は,運動教室等を実施している地域のコミュニティで希望者を募り,中程度までの運動が可能な方にお願いしました(27名,年齢70.0±2.7歳).
高齢者の中には,認知機能は多少衰えている人もいますが,MCI(軽度認知障害)や認知症の方はおらず,認知の診断によく使われる長谷川式簡易知能評価スケールの結果では,若年者29.3に対し28.3と有意に低い値ですが,ほぼ変わらないと言えます.但し,TMT-Bの1回のクリア時間を見ると,若年者の26.0±5.7秒に比べ,高齢者は49.5±16.1秒と大幅に遅いことが分かります.TMT-Bは,認知機能のなかでも注意機能,作業記憶,空間認知機能,および処理速度が関与しています.
なお,設定負荷は若年者の68.8Wに比べ, 高齢者で41.0Wと低い値でしたが,好みの回転数は,若年者で59.3回転/分,高齢者で57.0回転/分で有意差はありませんでした.
2)~6)
実験1と同じです.
2.結果
1)回転数
回転数の動態:単独運動課題(MT)では,運動開始20秒までに設定値近くまで到達し,やや高齢者で遅れますが,それ以降は誤差率(設定値に対する誤差の絶対値の割合)がほぼ1%以内に落ち着くのに対し,二重課題時(DT)ではなかなか設定値に合わず,若年者は後半にゆっくり漕ぎ,高齢者は最初に速く漕ぐ傾向が認められました.
誤差率:両群とも二重課題時に単独運動課題より増加し,二重課題の20~120秒間は高齢者の方(約3%)が若年者(約1.5%)より有意に高値を示しました.
このように,運動の正確性は二重課題開始初期から単独運動課題よりも低下し,特に高齢者で速く漕ぐようになることがわかりました.
変動係数:回転が設定値に近づく開始20秒以降,変動係数は単独運動課題(MT)の若年者で約1.2%,高齢者で1.4%程度ですが,二重課題ではそれぞれ1.6%, 2.3%と有意に高値を示しました.さらに,二重課題中(DT),多くの時間で高齢者が若年者より高値を示しました.
このように,運動の安定性は運動開始直後から二重課題で低下し,それは高齢者で特に顕著であると言えます.
2)認知機能
反応時間:高齢者,若年者とも二重課題時(DT)は,単独認知課題時(CT)に比べ有意に増加し,いずれの課題でも高齢者で有意に遅く,二重課題でその差が開くわけではありませんでした.
正答率:両群とも二重課題で有意に低下し,高齢者でやや低下率が大きいですが有意差はなく,年齢による影響はないと言えます.
3)呼吸機能
酸素摂取量:両群とも単独認知課題(CT)ではわずかに増加しますが,有意ではなく,単独運動課題(MT),二重課題(DT)とも同じように指数関数的に増加しました.
若年者が70秒くらいで定常に達するのに対し,高齢者は110秒程度と立ち上がりが緩やかでした.
毎分換気量:単独認知課題(CT)でも開始直後の20秒間(Phase I)で1~2 ℓ/分程度増加し,特に高齢者で大きく増加する傾向が認められ,その後も継続的に高値を示しました.
また単独運動課題時(MT)はPhase I で両群とも5 ℓ/分程度急増し,その後は指数関数的に増加しました.増加の速さは高齢者で緩やかでした.
二重課題時(DT)は,全ての時間で単独運動課題(MT)より高値を示しましたが,それは単独認知課題(CT)による安静からの増加分が,単純加算的に追加されている(AD)に過ぎませんでした.
呼吸数: 単独認知課題中(CT),高齢者,若年者ともPhase I で4回/分程度急増し,それ以降は微増でした.
単独運動課題時(MT)に,高齢者は単独認知課題(CT)とほぼ同じ変化を示すのに対し,若年者ではPhase Iから単独認知時より増加し,その後もその差は開きました.高齢者のCT時の呼吸数がかなり高く,ストレスがかなりかかっていることがうかがえます.
二重課題時(DT)は単独運動課題時(MT)よりどの場合も有意に高い値を示しました.その増加分は若年者の場合は,単独認知課題(CT)の増加分が単純付加(AD)されていますが,高齢者ではそれ(AD)よりも二重課題(DT)の応答が小さいく,異なる変化パターンを示します.高齢者では,認知単独課題時に呼吸数が過剰に増加していたため,単純加算にならないことが考えられます.
一回換気量:単独認知課題で開始直後に両群とも0.1ℓ程度低下し,その後もそれを維持しました.
単独運動課題では,運動開始後,指数関数的に増加しますが,高齢者は立ち上がりが遅いことが分かりました.
二重課題時は単独運動課題よりも増加の程度は有意に低い値ですが,指数関数的に増加し,やはり高齢者の立ち上がりが遅くなっていました.
4)循環機能
心拍数:単独認知課題(CT)で高齢者が8拍/分程度最初から急増するのに対し,若年者では5拍/分程度でした.
単独運動課題(MT)開始直後に両群とも急増し,それから指数関数的に増加するが,立ち上がりは高齢者が緩やかでした.
二重課題時(DT)は単独運動課題(MT)時よりも大きく増加しますが,それは単独認知課題(CT)による安静時からの増加分の単純加算(AD)でした.
3.考察
本研究の結果を高齢者と若年者の比較からまとめると,
(1) 高齢者は二重課題で運動初期から早く漕ぎがちで,正確性も若年者より大きく低下しました.
(2) 認知の処理の速さは高齢者がもともと遅く,二重課題でもその差は同じであることから, 二重課題による影響は少ないと言えます.
上と考え合わせると,高齢者は,二重課題遂行時に,運動課題を疎かにし,認知課題を優先するストラテジー(方略)があるのではないかと考えられます.
(3) 毎分換気量は加齢による影響はあまり見られず,二重課題では単独課題での増加分が単純に加わっているだけでした.
(4) 呼吸数は単独認知課題で高齢者の方がより大きく増加し,逆に運動単独課題では若年者の方が大きく増加します.
さらに二重課題では高齢者は単独課題の加算にならず,呼吸数の増加が抑制されていることが示されました.
これらのことから,二重課題によって,運動開始時の換気量は運動単独に認知課題による増加分が加わってより大きくなりますが,それには加齢の影響を受けないこと,また,単独認知課題時に高齢者の呼吸が速くなり,二重課題ではそれがマスクされることが明らかとなりました.
(5) 心拍数は単独認知課題で多少増え,二重課題ではその分が単独運動課題に付加された変化を示し,来れには加齢による影響はないことが明らかになしました.
全体として,二重課題時に高齢者の呼吸循環応答が遅くなること,ほとんどの場合,単独運動課題に単独認知課題の増加分が加わる変化を示します.ただし,高齢者の呼吸数は単独認知課題で上がり過ぎていますが,二重課題ではうまくマスクされていると言えます.
また,本研究では,運動開始直後の20秒間のPhase I において,認知機能を妨げれば運動時の換気が影響を受けて換気増加が抑制され,とくに認知機能が衰えた高齢者ではその影響が大きくなるという仮説を立てましたが,結果としては認知課題による影響が大きすぎて,二重課題時にはそれに引っぱられて運動単独よりも換気増大が増加していました.従って,本研究の仮説は支持されず,「学習-記憶仮説」も証明することはできませんでした.認知課題として,余りストレスはかからず,注意機能だけをそらす課題を用いる必要があります.
4.結論
1)二重課題開始時の呼吸循環応答は,ほとんどの場合,運動時の応答に,単独の認知課題での変化分が加わる変化を示すことが示唆されました.
2)高齢者は認知課題により注意を向ける傾向があり,運動が疎かになりがちですが,呼吸循環応答は過剰な変化をしないようにうまく調整されていることが示唆されました.
5.謝辞
本研究は,名古屋大学大学院医学研究科修士課程の張魯玉さんの修士論文の一つであり,精力的に実験を実施してもらいました.
また,電気通信大学・大学院情報理工学研究科の安藤創一先生,明治安田厚生事業団・体力医学研究所の須藤みず紀先生のアドバイスのもとに,実験を実施しました.
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